ギフテッドの集い

ギフテッドの人達がより良い人生を送るために情報交換をするブログです

死について考え始める

こんにちは、やすくんです。


昨夜、生まれて初めて自分が死にゆく夢を見ました。病院に入院していたのでしょうか、ふと、「僕、もうすぐ死ぬから」と認識する瞬間がやってきました。


こんな夢を見たきっかけは小さなことでした。先日、生まれて初めて虫歯が原因で歯の神経を抜きました。初めての事だったので、神経を抜く事について調べていたところ、「神経を抜く=歯は死ぬ」らしいことが明らかになりました。抜歯経験者(抜歯=埋葬(笑))のやすくんにとっては別に大きく動揺すべきほどの事ではないのでしょうが、タイミングの問題なのでしょうか、とにかくそのことがきっかけとなり、死について向き合うようになりました。アップル創業者のジョブズも癌になって死生観が大きく変わったようなことを言っていましたが、やすくんも死生観について考える頻度が増えました。


起床後、ネットで夢占いをチェックしたところ、「自分が死んでしまうのではなく、死に向っている状態、つまり死にそうになっている夢は、新しい自分へと生まれ変わりたい願いはあるのに、その願望がなかなか叶わないことを暗示しています。では、なぜ願いが叶わないのでしょうか。それはあなたの努力不足だったり経験が足りないからかもしれません。しかし運気そのものは上昇しつつあります。あなたがもうひと踏ん張りすれば幸運をがっちりつかむことができるでしょう」との記事を見つけました。


そう言えば、映画「すずめの戸締り」の「戸締り」を「過去との決別」のように解釈された方の動画を昨晩、偶然観ましたが、それがやすくんの深層心理に働きかけたのでしょうか?ともかく、夢占いにあった「新しい自分へと生まれ変わりたい願いはあるのに、その願望がなかなか叶わない」の部分は、今のやすくんの状況を的確に表現した説明だと思いました。


中世の頃を考えると、やすくんの年齢以降はもう人生のボーナスタイムみたいなものだと認識しています。このボーナスタイムをどの様に使うか、そして、どの様に生と死に向き合っていくのか、これからまだまだ考えないといけないなと思う毎日です。

完璧主義と虚無主義、非出生主義

こんにちは、やすくんです。


虚無主義を調べていたところ、非出生主義と言うものに出くわしました。この主義を簡単に説明すると「子孫を残す=不幸な者を増やす」であり、その言い分には共感出来る部分が多々あります。この世が完璧な楽園であればこんな主義は存在しないだろうと思いますが、実際は辛いことも沢山ありますから、一度くらいは「こんな世界に生まれたくなかったな」と思った事がある人も多いと思います。


なので、この主義の前提にあるものは完璧主義や幸不幸の二元論ではないでしょうか。例えば、この世界に完璧を期待していなければ、非出生主義に陥る可能性は低いかもしれません。もしくは、固定された幸福の概念の様なものを持たなければ、同様に、非出生主義に陥る可能性は低いかもしれません。あっ、もしくは「俺の人生、完璧」とか「私は幸せ」なんて認識している人や、逆に、そもそも完璧性や幸福度などに興味のない人も非出生主義に陥る可能性は低いかもしれません。


しかし、ギフテッドの人について話をすると、この非出生主義に陥る危険性はあるのではないかと思います。(当然、上手く回避したり、一度堕ちても復活する可能性もあります)やすくんは子供は可愛いと思いますが、欲しいとは思いません。何故って、「もし転生と言うものが存在したら、もう一度、人としてこの世界に生まれたいですか」と言う質問に対して「はい」と答えられないからです。正直、虚無主義だから面倒くさい(笑)それなのに子供を作って「人生頑張れ」なんて言えないし、頑張らない子供も見てられない。やすくんが生まれたこの世界が未だ原始時代だったら、何も悩まずに子作りに励んだかもしれないけれど(笑)


知恵の実を食べたモノの子孫だなぁ。誰だ、楽園にそんな木を植えたのは?(笑)

ギフテッドと自己肯定感、虚無主義

こんにちは、やすくんです。


ギフテッド児の自己肯定感について調べたところ、「卓越したパフォーマンスをあげているにもかかわらず、自己肯定感が低い」と言う記事を見つけました。過去のブログでも紹介したダニング・クルーガー効果と逆の「インポスター症候群」と呼ばれるものなのでしょうか?インポスター症候群とは周囲から高い評価を受けているにもかかわらず、「自分の能力は低い」と、自己肯定感を持てない状態を指します。


まぁ、普通に考えてみると、何かを成し遂げても自分を肯定出来ず、もっと頑張るからこそ能力がどんどん向上していくんですよね。とあるスポーツの伝説的な選手は、ドラフト会議で名門チームに選ばれた後、お祝いもせずに練習に行ったり、また別のスーパースターは、優勝した際に次の優勝を宣言し、実際に連覇したりしました。彼らには有頂天などというものはないのでしょう。そこにあるのは、次の目標に向かっての内省、内省、内省。


しかし、彼らの本当に凄いところは、それでも虚無主義に陥らないところだとやすくんは思います。彼らに比べると大したことは成し遂げてきてはいませんが、それでもやすくんも周囲から褒められるようなことをいくつか達成してきました。有頂天こそないものの、やすくんは虚無主義に堕ちてしまいました。正直言って、努力は好きです。なんだかんだ言って、いつも何かにのめり込んでいます。でも、達成後に「それってそんなに意味のある事だったのだろうか?」「何のために頑張ったのだろう?」と振り返ってしまいます。達成前より達成後のほうが自己肯定感が低い・・・(笑)


掲げた目標が間違っていたのか、それとも、何を目標にしても、自己肯定感なんてものはそれこそ虚ろなものなのでしょうか?