ギフテッドの集い

ギフテッドの人達がより良い人生を送るために情報交換をするブログです

ギフテッドと不安症

こんにちは、やすくんです。


久しぶりに「ギフテッド」で検索したら、東大がギフテッド支援(?)のページを公開しているのを見つけました。


そのページの抜粋:
「ギフテッドの特徴を有する人々は、知性、創造性、芸術、リーダシップ、あるいは特定の学術分野において高い潜在能力を有します。その一方で、学校、職場で不適応など種々の心理社会的機能上の問題を抱えることがあります。この問題の背景には、彼らが潜在的に高い処理能力を有するだけでなく、様々な感覚的情報も大量に取り込み、強く反応する“過興奮性(or 刺激増幅受容性):Overexcitability(略してOE)”の特徴を有することが想定されています。また、ギフテッドの特徴を有する人々の能力は必ずしも、全領域で押し並べて高いというわけではなく、個人の中で能力のバラツキを持ち合わせていることもあります。このようなバラツキの大きさは、情動制御の悪さや不安・緊張特性の強さと関連が強いことが知られています。」
(抜粋ここまで)


国内サイトでようやくギフテッドの「感覚面」を正しく理解している文章に出会いました。「刺激増幅受容性」なんて、やすくんが以前投稿した文章の主旨(まさしく増幅)そのままって感じで嬉しかったです。


それから「情動制御の悪さや不安・緊張特性の強さ」について、ここ数年、やすくんは非常に苦労しています。4年前に更年期障害(個人的には自律神経障害に含まれると思っている)の症状が出て以来、以前よりも不安に襲われることが多くなりました。特に夕方、夜間に昔の嫌なことや嫌いな人を思い出すことが多いです。更年期障害以前は情動制御がもう少し上手くいっていたのかな?とにかく、今年の3月に8日間寝込んでからこの傾向が強くなりました。


でも、不安症が酷くなるのと時を同じくして、UNIX系OSへの興味が強くなり、パソコンをいじっている時間が長くなりました。有名な映画「スターウォーズ」でも、アナキン(後のダースベイダー)が「機械いじりをしていると落ち着く」と言っていましたが、これは偶然でしょうか?(笑)


亡くなった祖母がやはり更年期障害が酷かったと聞いています。祖母の家系は勉強が出来る人、繊細な人が多く、(ついでに、左手が器用に動く人も多い。やすくんもマウスはずっと左手で使っています)やっぱり遺伝かな?やすくんの不安症はまだしばらく続きそうです(泣)


ところで、東大のサイトをまた抜粋:
「本研究室では、ギフテッドの特徴を持ち合わせると想定されるものの、 多様な背景因子の影響により潜在能力を十分に発揮できない状態にある皆様に対し、ギフテッドにおける認知機能と “過興奮性:Overexcitability”を適切に評価し、介入ターゲットを明確化する評価尺度を開発することを目標としています。将来的には、ギフテッドの特徴を持つ個々の 臨床背景・能力特性を考慮し、強みとなる特異点を重点的に向上させることを目的としたプログラムの研究・開発に繋げ、性別、障害、能力などに応じて最適な支援や環境が整うことを目指しています。」
(抜粋ここまで)


表現をぼかしているが、何が狙いだ?って言うか、日本は何十年遅れてアメリカの後を追うつもりだ!?何をしたいのか分からないが、どうせするなら、もっと早く始めてよ(笑)


ギフテッドの皆さんはどう思いますか?

本を書いてみよう ー ヒトの物語(12)

こんにちは、やすくんです。







以前、「本を書いてみよう」と言う記事を投稿しました。
自分から見える世界を表現してみようと思います。一度に書くのはしんどいので、連載形式で挑戦します。







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ヒトの物語(12)






「なぜ神は私を愛さない!なぜ私の望む物を与えないのだ!私はあなたの子ではないのか!」大理石で出来た荘厳な宮殿に、悲痛な叫びがこだまする。どんよりした空が王に静寂で応える。そこに神の慈愛は存在しないかの様だった。初老を迎えるヒトの長は、まるで大きな傷を負ったかの様に苦悶の表情を浮かべながら、子供の様に大粒の涙を溢れさせて叫んだ。


その涙は宮殿から流れ出て、山から川、川から海へ、自分達の土地を取り囲み、少しずつ侵食する海へと流れ込む。大航海時代を経て精密に作られた100年前の地図は、今や大きく塗り替えられ、ヒトの住むことが出来る陸地はほんの僅かとなった。王と言うモノは本来、自分の領土を拡大したいと願うものだ。それにもかかわらず、この王は年々、自分の領土を失っていっている。反撃しようにも、そうすべき相手がいない。ただ手をこまねいている以外、何も出来ないのである。


「原罪」それはヒトの始祖が神より与えられた楽園において、ヒトが神の愛に背いた唯一の咎を指す。元来、ヒトは神である自然を深く愛する生き物であった。四季折々の植物を愛で、野山の中で動物と戯れ、清流に喉を潤し、輝く夜空と暖かな大地に包まれて眠る、そんな神の愛に溢れる生活を過ごしていた。ところが、愛に背いた罰は、愛を失う事を代償とした。神の愛に背いたヒトは、その結果、何も愛せないモノと成り果ててしまった。


この罪は、本来ヒトが持っていた「愛」に関する遺伝コードを書き換え、ヒトの子孫達が何かを愛する事、そして、神にもう一度愛される事を半永久的に困難にした。そう、「原罪」は後世に遺伝していくのだ。涙を流し懇願するヒトの長が神に愛される事はもうない。そのモノが神を愛さないのと同様に。ヒトは愛が何なのか、愛する事がどういう事なのかを忘れてしまったのである。


ヒトの前で植物は実らず、動物は隠れてしまう。夏には無慈悲な雷雨とそれが引き起こす濁流にヒトは苦しみ、冬には凍てつく大地にヒトは寝床を見つける事が出来ない。神なる自然は今やヒトを守ってくれる者ではなく、脅威となった。ヒトが神なる自然をもう一度愛する事が出来るようにならない限り、神がヒトを愛する事はない。


「憐れな愚かモノ、その事に未だ気が付いていないとはな・・・」宮殿の柱の陰にはほくそ笑む姿があった。






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初めてなので文章はぎこちないですが、こうやって何かを考えるのってとっても楽しいです。どんどん自分の世界を表現していくのだ!

選挙について思うこと

こんにちは、やすくんです。


知事選、市長選が続き、家の近所は街頭演説等でとても賑やかな毎日です。しかし、「候補者の名前だけ」を拡声器で叫び続けるのは何とかならないものなのかと思います。TVコマーシャルと同じくらいレベルが低いと感じます。


ある日、ポストに立候補者とその公約を纏めた市報が入っていましたので、一通り目を通しましたが、ほとんどの候補者が本質的には「減税して、バラマキを増やす」と約束しています。その財源はどうするのでしょう?家計で考えてみれば実感が容易です。「収入を減らして、小遣いを増やす」と言う事ですからね。


そんなバラマキの代表的なものが「子育て支援」です。国としても、地方自治体としても少子化を防ぎ人口を、働き手を、そして税収を増やしたい。そのことはよく分かります。でも、バラばいても子供の数は増えない。バラまかなくても子供が増えている新興国を見たらそのことは分かるし、自然界を見てもよく分かる(弱い生き物のほうが個体数は多い)。先進国で人口を維持・増加させたいなら、移民を受け入れるしかない。そんなことは欧米を見ても、シンガポールを見ても明らかなのに。当選するためだとは思うが、あたかも真っ当なような大義名分のもとに、税金を効率の悪い使い方に割り当てるのは勘弁願いたいですね。


民主主義下での選挙は基本的に多数決です。有権者が賢くならなければ、賢い人が政治家になることはありません。有権者が自分のことだけでなく、素晴らしい社会の実現について考えないと、素晴らしい社会になることはないでしょう。