ギフテッドの集い

ギフテッドの人達がより良い人生を送るために情報交換をするブログです

偉そうにふるまう人は嫌い

こんにちは、やすくんです。


組織にいると、偉くもないのに偉そうにふるまう人っていますよね。やすくんはそう言う人が嫌いです。経験上、本当に尊敬される人は偉そうにはふるまわない。「実るほど頭が下がる稲穂かな」とは良く言ったものです。


人が最初に所属する組織は大抵、家族だと思います。その次はご近所の集まりであったり、学校であったりします。やすくんの場合、家族においては父が、ご近所であれば年上の子が、学校であれば先生がやはり偉そうにしていました。当時の父や先生よりも年長となった今、振り返ると、彼らが偉そうに振舞っていた根拠は、歳や立場と言う本質的には無価値なものだったのだろうなと思います。


本当に偉い人や尊敬される人は、本人がその様に振舞わなくても周りがそう扱ってくれると思います。逆に、そうだと勘違いしている人は周りがそう扱ってくれないから、自尊心を守るために偉そうに振舞うのかな?でも、それって周りの人からすれば迷惑なんだけれど。偉そう振舞う人って、自分を偉く見せるために、周りの人を貶したり、蔑んだり、酷ければ罵倒したりもする。


やすくんの場合、結構早い段階で、父や先生って言う人達はそんな大した生き物ではないと気付きました。だから、偉そうにされると分かり易く反抗の色を顔に出しました(笑)ギフテッドは権威に対して反抗的と言われますが、どんな権威に対してもではなく、紛い物の権威に対してだけではないかなと思います。まぁ、ほとんどの権威が紛い物かもしれないと言う話はまた別の機会に(笑)


ギフテッドの皆さんはどう思いますか?

気付かないまま大人になったギフテッド

こんにちは、やすくんです。


先日投稿した記事「書籍の紹介:大人のギフテッド」の閲覧数が比較的多かったので、そのことについて考えてみました。


近年になって浸透し始めた「ギフテッド」と言う用語。やすくんが若い頃にはそんなものは聞いたことがなかったです。なので、今既に大人であるギフテッドの人達は、帰国子女でもない限り、ギフテッドの診断なんてものは受けたことが無いでしょう。受けたとしたらIQ測定くらいでしょうか。


本書籍にもあった「異質な知能」の影響で、やすくんの価値観や判断基準、行動、感情、人間関係などは、周囲の大半の人と異なります。少しくらいのズレならば、「なるほど、少し考え方や感じ方が異なるんだな」で収まりますが、大きなズレの場合は、お互いに「???」「全然理解出来ない!」ってなることがありますよね。お互いに異質である事を認知していないと、思わぬ誤解や軋轢を招くこともあります。


気付かないまま大人になったギフテッドは、今だにこう言う事を経験し続けていると思います。理解出来ない、理解されないって、本当に辛い事です。特に、家族や親しい友人、職場の同僚・上司・部下、学校などの先生、お世話になっている人との間に、理解ある人間関係を築けないのは、多くの困難を生じます。


ところが自分がギフテッドであることに気付き、周りの人と異なるタイプの人間だと理解すると、理解出来ない・理解されない事に対する忍耐力が増します。と言うか、諦めがつきます(笑)それはまるで、小さな子供や高齢の老人、日本の事をあまり知らない外国人とお互いを理解し合えない時に似ている感じです。辛さが激減します。理解がままならなくても、笑顔でいられます。最初は毎回とはいかなくても、慣れてくると、「皆、異なる生き物だから」と考えるようになります。(相手はそんな風には考えてくれないかもしれませんが)


本当は理解したいし、理解されたいんですけれどね、でも、困難な事はやはり困難ですね。理解し合う努力は継続すべきですが、無理は求めない。一歩ずつ、一歩ずつ。今はそんな風に考えるようになりました。ギフテッドの皆さんは如何でしょうか?

書籍の紹介:「大人のギフテッド」

こんにちは、やすくんです。


本日は書籍の紹介です。タイトルは「大人のギフテッド」です。著者はフランスの臨床心理学者・セラピストのジャンヌ・シオー=ファクシャンさんです。


沢山のギフテッドの人達を診てきただけに、ギフテッドの事をよく理解されています。ギフテッドの事を理解したい人にはピッタリの書籍だと思います。


いつもの通り、やすくんはまだ読み掛けなのですが、最初の三分の一を読んで共感したのは、ギフテッドの知能は、非ギフテッドの賢さの延長にあるのではなく、異質なものであると言うところでした。非ギフテッドがまず頭(理性)で考えるのに対し、ギフテッドはまず心(感情)で考える。自分を客観的に見ると、「得(効率良い、効果がある)だからこうする」とか「理にかなっている(法的に正しい、常識的である)からこうする」のではなく、「楽しい(美しい、嬉しい、気持ち良い)からこうする」とか、「愛を感じる(自由を感じる、公平さを感じる)からこうする」と言う様に考えます。だから、度々、他の人と異なる意見や選択、行動をします。「えっ!?なんで!?」と周囲から驚かれることや、「馬鹿なんじゃないの?」笑われることもありました。でも、目先の損得や、他人の物差しで物事を考えていて、一体何を得るのでしょう?そして、どこに辿り着くのでしょう?何を成し遂げるのでしょう?私の行動に対して驚いた人や笑った人にそう問いかけたいです。


次に、ギフテッドは自分を理解してくれる人や、自分と同じギフテッドを探していると言うところもとても共感しました。家族や親しい友人を含め、大半の人に理解されない、そして、大半の人達を理解出来ない事が、場合によってはギフテッドを孤独な状況に追い込むかもしれません。家族や恋人から無条件の愛を受けていたり、友達と互いの違いを乗り越えて友情を育んでいる場合には、孤独感は薄い物だと思います。しかし、自分を理解してもらえない事はやはり辛いこともあるでしょう。そんな理由から、やすくんはこのブログを通じてギフテッド仲間を見つけようと思いました。他の誰かに理解されたい、そして、他の誰かを理解することで一緒に孤独感を埋めたい。これは人と言う生き物の一つの本質ではないでしょうか?


ギフテッドのトピックでは、どうも学力のことが頻繁に話題となりますが、それは幾つものテーマのうちの一つであり、全てではありません。この書籍でも学力については殆ど話題にされていません。ギフテッドの課題を別の所に見ています。私はそれで良いと思います。「うちの子はギフテッドで学力が高い」「うちの子はギフテッドなのに学力が低い」と言う声を聞くことがあります。本当にギフテッドなら、その子は将来、学力よりも別のことできっと悩むことになります。そんな時にこの書籍が助けになれば良いですね。