ギフテッドの集い

ギフテッドの人達がより良い人生を送るために情報交換をするブログです

哲学と思想的自由

こんにちは、やすくんです。


旅行に行っていたため、ブログを更新しませんでした。今日からまた元気にブログの再開です!


先日、市民哲学カフェに参加してきました。ギフテッドの人は哲学に興味があるらしく、私の場合なんか、起きている間はずっと何か哲学的なテーマについて考えています。今までにこう言った哲学カフェに数回参加したことがあります。わざわざ新幹線に乗って遠くの哲学カフェにも行ったこともあります。


元々、哲学カフェに参加し始めたのは「物事について色々と考えている人に出会いたい」と言う願望を持ったのがきっかけでした。同じ物事でも、それを見る人が異なれば、出てくる意見や感じ方も異なるものです。自分が未だ思い付きもしないような、あっと驚くような考え方に出会いたい、そんな人と色んなことについて意見を交換してみたいと考えています。


参加者の中には「若いのに色々と考えているなぁ」と感心できる人もいれば、「年齢の割に、あまり自分で考えてこなかったんだなぁ」と言う人もいます。後者のような人になる一つの原因として考えられるのは、世間の常識や慣習、宗教観、メディアで広められた倫理観などの影響から抜け出せず、自分の思想のコアな部分が他人によって作られていることです。


例えば、先日のアイルランドの中絶に対する国民投票ですが、そもそも中絶は宗教の影響によって禁止されていたわけです。人生における大きな選択を、自分が会ったこともない宗教関係者が決めた事を基に決断するなんて私にはとても出来ません。メディアや教育、宗教などは良くも悪くも我々の思想に影響を与えています。こう言った影響から出来るだけ自由になりたい、そして、自由に生きたいと私は願います。


もっと自由になろう!