ギフテッドの集い

ギフテッドの人達がより良い人生を送るために情報交換をするブログです

映画「ギフテッド」を観て

こんにちは、やすくんです。


映画「ギフテッド」を観ました(*^-^*)

主役のマッケナ・グレイスちゃんがすごい!彼女自信がギフテッドじゃないかと思うほど、素晴らしい演技力でした。しかし、7歳で大学レベルの数学に挑戦する子供なんているんですかね~?実在するなら、是非ともお会いしたい。


さて、映画の中では、ギフテッドの特徴はあまり多く描かれていませんでした。ギフテッドは決して数学が得意なだけの人ではありませんが、時間の都合なのか、物語は主に数学にフォーカスを当てていたような気がします。


しかし、主人公メアリーがいじめっ子をやっつけるシーンは、ギフテッドの特徴を示していて、ちょっと嬉しかったです。ギフテッドは正義感が強いですから。私も昔、友達をイジメてたいじめっ子にガツンと言ったことがあります。後は、年上の人と付き合うのが好きとか、動物が好きとか。とても共感できました。


祖母のイブリンは自分の価値観や願望をメアリーに押し付けてましたね。自分が夢を叶えれず、娘も自分の夢を叶えれず、それを孫娘に押し付ける・・・。自分は自分、娘は娘、孫娘は孫娘というように分けて考えれないのでしょうか?


でも、ギフテッド関係のブログなどを読んでいると、イブリンみたいなお母さん、見かけます。気をつけないと、将来、イブリンみたいな境遇になりますよ(笑)


ギフテッドは本質を見抜きますから。

政治への興味

こんにちは、やすくんです。


米朝首脳会談の中止が発表されましたね。こういうニュースを聞くたびに、ギフテッドの皆さんはうんざりしたり、呆れたり、怒ったりするんではないでしょうか?ほんと、子供のケンカみたいなレベルで情けないですね。どっちもさっさと核兵器なんか破棄すれば良いのに。それで平和になるとは思わないけれど、少なくとも核兵器が使われるリスクは下がるでしょう。


ギフテッドの人達は政治に興味を持つ傾向にあるようです。私はいくつかの国に住んだことがあるので、世界の政治にはやや敏感です。BSで放送される、政治・経済が主なテーマであるニュースや報道番組を今でも私はよく観ます。ウォールストリートジャーナルも読んでいるので、日々、これらのことで私の知識はアップデートされていきます。


シンガポールに3年間住んでいたのですが、この国は政治的にとても興味深いです。シンガポールと言えば、「安全、清潔、便利」と旅行客にも人気で、貧困もなく、経済的にも大成功を収めている素晴らしい国というイメージがあるのではないでしょうか?この国の何に私が政治的な興味を持っているかと言うと、実はこの国、一党独裁制・最高指導者世襲・言論の自由がないと、政治の仕組みだけを見ると、まるで北朝鮮のような国なのです。


そんな独裁国家で素晴らしい3年を過ごすと、民主主義という仕組みを疑うようになります。果たして、民主主義は成功するのでしょうか?民主主義は基本的に多数決で物事が決まります。しかし、多数決で素晴らしい政治が可能なのか、私は疑問に思います。参政権や投票権を持つ人の半数以上が素晴らしい政治的な考えを持っていないと、素晴らしい政治に繋がらないのではないでしょうか?


独裁国家には独裁国家の政治的なリスクがありますが、民主主義国家には民主主義国家の政治的な欠陥があるのではないかと思います。


皆さんはどう思いますか?

「論理的」である喜びと苦悩

こんにちは、やすくんです。


映画「ギフテッド」のデジタル先行配信が昨日から始まったようです。私も映画館で観れなかったので、デジタル配信かDVDレンタルを利用するつもりです。鑑賞後、このブログで感想をシェアしたいなぁと考えています。


映画の予告編でもその特徴が紹介されていましたが、ギフテッドの皆さんは学生の頃、やっぱり、数学が好きでしたか?私は好きでした。名門の学校の入試問題なんかによく挑戦していました。あの頃は解けるまで何時間でもずっと考えていましたねぇ(笑)


数学が好きだったので、自然に理系の道に進みましたが、大学生の頃や社会人になってからは、コンピュータプログラミングに興味を持ちました。エクセルのVBAやC言語で自動計算をするプログラムを組んだり、HTMLでホームページを作ったり、FLASH動画でeラーニング教材を作ったり。これらも楽しかったです。最近は空き時間にIQクイズやパズル系のゲームを好んでしています。


私はこう言った「論理的」な趣味やゲームが好きですが、交流するのも「論理的」な人が好きです。例えば、私は近隣の貸し農園で野菜を育てているのですが、同じ農園に来ている人で、いつも親切に色々と教えて下さる方がおられます。その方の説明や考え方がとても論理的で、話をしていてとても楽しく、いつもインスピレーションをいただいています。論理的な人は他の論理的な人とコミュニケーションを取っている時に喜びを感じるものなのでしょうか?


しかし、論理的に生きることは喜びだけでなく、時に、苦悩も私に与えます。世の中や人生、人々は残念ながら完全に論理的でなく、屁理屈や感情の上に成り立っていることが多々あります。そんな時、現実と自分が論理的に築き上げた理想の間に大きなギャップを感じ、埋められない溝を前に、苦悩を抱くことになるのです。


皆さんはどうですか?