完璧主義とその苦しみ
こんにちは、やすくんです。
とあるサイトで「完璧主義を止めれば楽になる」的な文章を目にしました。「理想が高過ぎて叶わない。だから、完璧主義者は常態的に苦しむ」と。
それでは完璧主義を止めれば本当に楽になるのだろうか?「そんな高過ぎる理想を持つなんておかしい」と自分を否定すれば、本当に楽になるのだろうか?
やすくんはそうは思えない。理想は持った時点で人に苦しみを与える。それはその人が完璧主義者だろうがそうでなかろうがだ。つまり、その理想を叶えようとしようがしまいがだ。なぜならば、苦しみとは理想と現実のギャップだからだ。そして、そのギャップはその人が完璧主義者であろうがなかろうが、次々と人の前に現れる。それは肉体的なものかもしれないし、精神的なものかもしれない。それは意識がある限り続くだろう。現実の世界でも、夢の世界ですらも。
それでは、完璧主義者の人はそうでない人よりも、多く苦しむのだろうか?つまり、完璧主義者ではない人の方が楽に生きているのだろうか?
そうかもしれないと思う理由もあれば、そうではないと思う理由もある。しかし、両方を体験することが出来ないので、やすくんにはその結論は分からない。ギフテッドがその完璧主義によって苦しむことがあると言われる。だが、完璧主義のおかげで沢山の事も改善されたり、理想が叶って喜びを感じることもあると思う。
そして最後に一つ。完璧主義は果たして止められるものなのだろうか?
それって、バスケが好きな人に、興味のないサッカーを好きになれと言ってるようなものだと思う。完璧主義者は完璧主義が好きなのであって、その状態であることが好きなのである。好きな物を取り上げられた人の感情は「楽」ではないと容易に想像がつく。
ギフテッドの皆さんはどう思いますか?
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