ギフテッドの集い

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本を書いてみよう ー ヒトの物語(10)


こんにちは、やすくんです。





以前、「本を書いてみよう」と言う記事を投稿しました。
自分から見える世界を表現してみようと思います。一度に書くのはしんどいので、連載形式で挑戦します。





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ヒトの物語(10)





キーボードを叩く音が心地良いリズムを刻む。
大学時代にプログラミンを経験した彼は今、自分のスマホ用にアプリを開発している。彼の学生時代にはスマホどころか、携帯電話すら普及の途中で、プログラミングと言えば専ら、パソコン上で動作するモノばかりであった。IT技術はそれから20年程度で劇的な成長を遂げ、20年前には夢のまた夢であった様なデバイスを小学生が使っていたりする。そして、そのデバイスの上では様々なプログラミングが動作している。

彼の所属していた大学の研究室には、1人1台パソコンが割り当てられていた。学生達はプログラミングだけでなく、論文を執筆したり、プレゼンテーション資料を作成したり、インターネットで情報を検索したりする事が自由に出来た。しかし、20代前半の学生にパソコンの様なモノを渡すと当然の様にそれで遊ぶ。音楽を聴いたり、映画を観たり、ちょっとおませな画像を見つけて来てはキャッキャッと騒ぐ。

そんなある日、学生の一人が面白いゲームソフトを持って来た。それは当時、まだ目新しかったネット対戦ゲームであった。10人程度の学生が2つのチームに分かれ、村や町を興し、文明を築き、人口を増やしながら、食料や武器を手に入れ、相手国と戦って領土を広げていく。ゲームの登場者達はプレーヤーに与えられたタスクをこなす。あるモノは畑を耕す。またあるモノは船を建造する。戦に出るモノもいれば、教会をたてるモノもいる。その様子はまるで、モニターの中にあたかもリアルな世界が広がっている様に感じさせた。

それから10年が経った頃、とある映画が世界を賑わせた。主人公達はシミュレーション世界と現実の世界の両方で生きる。それはまるで夢と現実の世界の両方を生きるかの様だ。しかし、どちらが夢でどちらが現実なのか、果たしてどう区別出来るのだろうか?いや、そもそも区別する意味はあるのだろうか?どちらでも生きなければいけない、いや、本能によって生かされている。どちらの世界にいても、それは関係ない。DNAに埋め込まれた生存本能によって、ヒトは生きるのだ。

「それではこの生存本能とは一体、何なのだ?そもそも、いつか必ず死ぬ生物に生存本能が必要な理由はあるのか?」そんな疑問が浮かぶ。哀れなモノ達は、少しでも死期を遅らせるために一生懸命だ。長生きに役立つとテレビで紹介された商品は、次の日にはスーパーで売り切れている。徹夜覚悟のモノ達でワクチン接種会場に行列が出来る。いつか必ず死ぬのに。それが彼には滑稽でしかなかった。


時計の針は午後10時を指している。今日はキーボードを叩く指が、まるでそこに意思が存在するかの様に、軽妙に動く。プログラムが完成するのが楽しみだ。しかし、先程までキーボードの上で踊っていた指が、ふと止まる。「このプログラムに生存本能を入れたらどうなるのだろう?」


乾いた空気が部屋に漂うのを感じる。



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初めてなので文章はぎこちないですが、こうやって何かを考えるのってとっても楽しいです。どんどん自分の世界を表現していくのだ!