ギフテッドの集い

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本を書いてみよう ー ヒトの物語(8)

こんにちは、やすくんです。


以前、「本を書いてみよう」と言う記事を投稿しました。
自分から見える世界を表現してみようと思います。一度に書くのはしんどいので、連載形式で挑戦します。




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ヒトの物語(8)




窓から外を覗くと、しとしと雨が降っている。
こんな夜は、ジャズを聴きながら読書に耽るのが最高の時間の過ごし方だ。耳から入って来るトランペットの音が脳を経て、やがて心を震わせる。日中の仕事から解放され、リラックス出来る、とても心地好い時間だ。


彼が勤める外資系企業の職場には、二つの種類のヒトがいる。一つは、外資系サラリーマンらしく、成果主義と自由を愛するモノ達。仕事の効率を最優先にし、残業や職場の飲み会などには参加せず、積極的に休暇を取り、人生を満喫することを大切にしている。もう一つは、外資系にも関わらず、あたかも日系企業サラリーマンの様に働くモノ達だ。彼は前者であり、彼の上司もまた前者である。同じタイプのためだろうか、上司との相性は良く、その関係に満足している。また、彼には、この企業に就職したと同時に付き合い始めた彼女がいる。彼女とは休暇先の海外リゾート地で知り合った。彼女は彼以上に自由奔放に生きていた。同い年にも関わらず、定職に就いていなかった。勉強が嫌いで、高校を留年した。そんな経歴の持ち主ながらも、自信を持って自分の気持ちに沿って真直ぐ生きてきた。彼が彼女を受け入れるにはそれで十分だった。平日は気持ち良く仕事をし、休暇は彼女と楽しく過ごす。彼は現在、幸せな毎日を過ごしている。


今夜読んでいる書籍には「幸せ」とは何かが述べられている。元来、幸せとはヒトの主観的な欲望が満たされた状態(例えば、欲しいモノが手に入ったり、なりたい状態になったりすること)であり、古来よりヒトはそのために働いてきたらしい。しかし、この著者はここで科学的な切り口から幸せを捉え直してみた。幸せとは「特定の信号が脳内を伝達する事」らしい。例え幸せな事が起きなくても、この信号を流すことが出来れば、ヒトは幸せと感じるらしい。極論を述べれば、例え辛い事が起きたとしても、この信号を流せばその事を帳消しにし、幸せを感じると言うのだ。そう、現実の世界で起きている事はヒトの幸せに影響を与えないと言うのである。それならば、もし仮に、ヒトが生きる上での究極の目標が幸せになる事であれば、幸せを形成する様々な欲望を満たすための努力を止めて、この信号を人工的に流せる様に努力する事が直接的であり、単純で、制御可能で、いつでも利用可能で、直ぐに幸せを味わえる最良の方法ではないだろうかと彼は考えた。もしそれが可能なのであれば、財力も権力も名声も、もう何も不要となる。物欲を満たすために汗水垂らして働く必要もないし、物を作るために環境に負担を掛けなくて済む。社内や政界で権力闘争に身を曝す必要もないし、賄賂を贈って逮捕される心配もない。世界から戦争も無くなるであろう。学校や会社で良い成績を上げるために過度に勤勉になる必要も無くなり、体調を崩すリスクも下がる。まるで夢の様な人生、夢の様な世界ではないだろうか。幸せになるためにしなければならない事があるとすれば、それは、この信号を流す電極と、生命維持に必要な点滴の針とを身体に繋いで、身体を預ける事である。この著者が正しいのであれば、それだけでヒトは幸せになるはずである。


深い思考の世界からフッと現実の世界に浮上する。「何故こう言う装置を作らないのだろう?」




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初めてなので文章はぎこちないですが、こうやって何かを考えるのってとっても楽しいです。どんどん自分の世界を表現していくのだ!