ギフテッドの集い

ギフテッドの人達がより良い人生を送るために情報交換をするブログです

本を書いてみよう ー ヒトの物語(6)

こんにちは、やすくんです。


以前、「本を書いてみよう」と言う記事を投稿しました。
自分から見える世界を表現してみようと思います。一度に書くのはしんどいので、連載形式で挑戦します。




ーーー



ヒトの物語(6)



広い階段にコツコツと響く彼の足音。
今日は自治体主催の「哲学の会」の開催日。自宅からそう遠くないターミナル駅のすぐ目の前に、建てられてからまだそれほど経たない大きな公共施設がある。会場の3階までエレベーターを使用せずに階段を上る。エレベーターを待つのも面倒くさいし、電気の無駄だと彼は思う。部活で鍛えた彼の脚力なら、階段なんて大したことない。


4ヵ月に1度くらいの頻度で開催される哲学の会に参加するのは今回が初めてである。昔から人前で自分の意見を述べる事に抵抗はないが、初めて参加すると言う事もあり、彼は少し落ち着かない気持ちである。今回の議論のテーマは「自分とは」。初参加のテーマとしては取っ付き易いので良いと彼は思った。


うお座の彼は、その星座の典型的な性格の通り、自分と他のモノを切り分けない。大部分のヒトは自分と他のモノを明確に区別する。しかし、彼は自分と言う存在を宇宙と言う空間の中で動く、遺伝子に引き寄せられた「物質と情報の偏り」くらいにしか考えていない。その物質や情報は流動的で、日毎に少しずつ入れ替わっていく。遺伝子をスポンジに例えるなら、物質や情報はそのスポンジに吸われたり、絞り流されたりする水や洗剤みたいなものである。


例えば10代の彼の肌細胞であれば、20日程度で入れ替わるとの調査結果がある。記憶される情報も、1ヵ月程度で8割が忘れられるようだ。この世界では、物質も情報も自由に行ったり来たりしているので、昨日まで他の場所にあったモノが、今日は自分と言う場所に、そして、1ヵ月後にはまた別の場所にあったりする。


開場時間となり、20人程度を収容出来る会議室に入る。参加者全員を見渡しながら議論し易いように、円形にパイプ椅子が配置されている。入口で受付を済ませ、スタッフの説明通り、彼は好きな椅子に座る。隣に座った人に軽く会釈をし、静かに会の開始を待つ。次々と入ってくる参加者には彼の様な学生からサラリーマン、主婦、老人までいる。定刻になり、司会が簡単な挨拶を行い、議論に際してのルールを説明する。ルールはとてもシンプル。発言したい時は挙手し、司会が指名してからしか発言してはならない。それから、他の参加者やその意見を否定してはならない。この二つだけである。


議論が開始する。ある参加者が挙手し、持論を展開するが、彼には要点が全く分からない。デカルトの「我思う、故に我在り」と言う有名なフレーズを持ち出したりしているが、話を無意味にややこしくしているだけであった。発言の時間に制限が無かったからか、その参加者は迷路の中を駆け巡るかの様に話を続けた。うんざりした彼が挙手をする。司会が少しホッとした表情で彼を見た。発言を続けていた参加者の話の切りが良さそうな所で司会が丁寧にその話を中断し、彼を指名した。


彼は自分とは物質や情報を蓄えるスポンジの様なものだと参加者に説明した。多くの参加者が彼の考えに納得し、それに賛同する考えや、その考えを拡張・応用した意見を述べた。会の最初に発言した参加者は相変わらず自分の考えに固執していたが、会のルールの通り、彼や彼の意見を否定する様な事はしなかった。


哲学の会が終わり、駅ビルのカフェで一息つく。この店のホットチョコレートには定評があり、彼もよくそれを注文する。甘味と苦味のコラボレーションはまるで人生の様でもある。互いが互いを引き立て合う。熱いホットチョコレートを一口、また一口と啜り、ゆっくりと味わう。周りを見渡すと、ノートパソコンで仕事をしているモノや雑誌を読むモノ、連れ合いと談笑するモノや彼の様に一人で静かに物思いに耽るモノがいる。各々に過ごし方は異なるが、穏やかな時間が一様に流れている。


彼はカフェの壁に掛けられたコーヒー農園での収穫作業をモチーフにした絵画をぼやっと眺めながら、今日の議論を振り返る。哲学の会にも関わらず、参加者があんまり物事について深く考えていない事が分かった。もしかしたら、賢人に出会えるかもしれないと僅かながら期待して会に参加したが、そんな期待に応えてくれるヒトとは今回、出会う事は無かった。


彼は物心ついた頃から周囲のヒトを毎日の様に質問攻めにしていた。「なぜこれはこうなの?」「これは何て意味?」「これは何て読むの?」「これはこうじゃないの?」彼の知的好奇心と思考の活発さは、周囲の子供達、いや、大人も含めた周囲のヒト達と明らかに一線を画していた。


「ヒトの存在する意味なんて、誰も考えてないんだろうな」と呟く彼。ヒトの存在する意味、その答えに辿り着く目処は全く無い。来週には修了式がある。そして、来月から3年生。いよいよ受験生として本格的に学業に専念しなければならない。その問いについて考える時間的な余裕は減っていくだろう。


壁に掛けられたいくつかの絵画には、陽気な南国の暮らしが描かれている。「あんな場所に生まれていたら、どんな人生を歩んでいたのだろう?」妄想を膨らませながら、ホットチョコレートを口にする。意識が白昼夢の世界に溶けてゆく。



ーーー



初めてなので文章はぎこちないですが、こうやって何かを考えるのってとっても楽しいです。どんどん自分の世界を表現していくのだ!